よんが草食系男子との可能性を考える

なっちゃん:よん、草食男子と付き合ってみたら?
よん:あんま興味ないんですけど。
しお:でも草食系はなんでも聞いてくれるよ。
なっちゃん:うん、喧嘩を避けるからね。
よん:喧嘩したいのに喧嘩できないとムカつきますよ。
しお:あ、やっぱ喧嘩が好きだね。
よん:好きじゃないけど、いっぱい吐き出しあったらすっきりするときもあります。
なっちゃん:肉食と喧嘩してウツになってるから、平和主義の草食系を経験してみるのも…?
しお:日本だって、最近草食系ばっかりだもん。それしかいない。
よん:そんなことでウツになってません!

比較タクシー学

ご無沙汰しております。しらふです。
タイトル通り、今回「タクシー」というテーマを取り上げようと思ってる。
タクシーの運転手ってあらゆるKKKの仕事であると私は思う。何時間も車の中で座りっぱなしで、気まぐれなお客さんをあっちこっち運んで、目の前に車しかない日々が続くという作業。
道沿いの駐車してあるタクシーで爆睡する運転手さんたちをみれば分かる。
そんなつらい仕事によっての苦労を減らすために、世界中の運転手がそれぞれ独特な方法を活用するとみられている。
どういう話なのかわかんない?じゃ、例を挙げてみよう。

シンガポールから始めよう。シンガポールって島国で、もともとイギリスの植民地で今現在様々な民族が共生しているところなの。そこで、多くの道や広場などにMr. Rafflesの名前が付けられて、運転手から見るとつまらないだろう。そこで、私は一回出あったタクシーの運転手が独特なストレス解消方法を見つけたという。
ゲップ。
はい、ゲップ。20分くらいのルートで17回もゲェエエップって。そう、暇で数えました。
人の前でゲップをするのが大変下品なことだと思われてる文化から来ている私にはそれも、なんていうか?、異文化コミュニケーションかな。

次は、バンコックのタクシー運転手。タイでトウゥック・トウゥックもあったり、4人乗りのバイクもあったり、そして、呼べば泊まるバスがあったりするけれど私は指摘したいのがいわゆるパブリック・タクシーなんだね。
乗った時は夜の7時だった。もう真っ暗。空港からホテルへと。ホテルの名前が書いてあったチケットをジーさんに渡したら、頷かれた。そして、向こうはサングラスをかけて車にスピードを出した。
はい、夜にサングラス。(まー、たしかに、渋谷でもそんな人見かけられるけど、車に乗っていないからまだいい。)
サングラスの裏に地図が書いてあったか私にはわかんない。けど、偽レイバンを掛けることによって私の運転手がまた運転に必要な力をもらったということを私が確信した。せめて、その時、そう信じたかった。

最後に、東京の運転手。東京の多くの運転手のストレス解消はを忘れる事なのかな〜と最近疑問に思う。悪い意味で言ってないよ。ただ、経験上話すんだけど、今までの出あった運転手さんたちは(正確言うと90%かしら)私から道を教えてもらった。あるいは、私に聞いたことが何回もある。
日本に来る前、私が素直にこう思っていた:運転手のバイブルには三つの知らなきゃならないことが書いてある。1)車を運転できること、2)面倒くさいお客さんに対して我慢できることと3)。。。道を分かること(または道を分かるふりすること)。
馬鹿だったね。
勉強になりました。


Taxi Face by Flickr id:NYCArthur

外国語も母国語も難しい〜

一週間くらい前、通訳の仕事があった。
日本文学に関する座談会の専門通訳。日本語を韓国語に通訳する担当だった。


言い訳から始めよう。
一、私の専門分野ではない通訳ということ
二、日本に来て何年も母国語である韓国語の本をほとんど読んでいないこと
三、私は専門的な通訳者ではないこと


通訳は13時から18時まで。ものすごくつらい時間だった。まだひきずっているくらい。
私は母国語である韓国語を結構忘れていた。
忘れたということはぱっと出てこない韓国語の単語が増えてきたこと。先に日本語で言ってしまう。
それは日本にいる私としては支障がない。しかし、韓国に帰ったら戸惑ってしまうだろう。
考えてみたらおもしろい現象だった。悪くいえば、外国語が母国語を侵食していく。
でも韓国語の本を読みはじめたら言語能力は戻ると言われた。それはそうだろう。


韓国の友達と私の会話で私がよく間違えることば。
電車(でんしゃ)→電鉄(ジョンチョル)


私は電鉄(ジョンチョル)と言わなきゃいけない場面で躊躇なく電車(でんしゃ)と日本語で言ってしまう。
友達の反応は、「なに?」(もちろん韓国語で)



通訳の場には日本語を20年くらい勉強された韓国人の先生がいらした。通訳が終わって先生に聞いた。

「先生、先生は日本語も韓国語もすごくお上手ですね〜」
バカバカしい質問だった。でも以外なことを聞くことができた。

「日本で勉強していたら、韓国語忘れちゃうよね。私も何年前から韓国語の勉強やり直したよ。」



言葉をうまく操る、そして習得していくことはもちろん難しい。
しかし、母国語を忘れずにうまく使い続けることも難しいのだ


秋は本当だるい。

英語発見(1)! 「Everything’s gonna be fine.」

皆さん、東京は面白い。

月曜日に新宿で散歩していた時に、以下の看板を見てビックリした。「これ面白すぎる!」と思って写真を撮った。

「Everything's gonna be fine.」

これは、「Oriental Passage」というパチンコのスローガンらしい。

で、何が面白い。

探してみたら分かると思うけど、「Everything's gonna be fine.」(つまり「Everything is going to be fine.」、または「Everything will be fine.」)という言い方は、英語ではよく出てくる。意味は文字通りですが、使う場面はだいたい決まっている。

アルクの英辞朗で引いてみるとその場面が明らかになると思う。例えば、

「If you did something wrong, just own up to it and everything will be fine.」
「何か悪いことをしたのなら白状してしまいなさい、万事うまくいくから。」

または、

「Oh, you poor thing. I'll call the credit card company and go with you to the DMV to get your new licence, everything will be fine.」
(「あら〜かわいそうねえ。クレジットカード会社には私が電話するし、新しい免許を取りに試験所まで行くのはついていってあげるから、大丈夫だって。」)

というような使い方が普通。

つまり、何か悪いことが起こりそうな時に、また悪いことが起こった後に、安心させるために「Everything's gonna be fine.」という表現を使うわけ。

でも、それをパチンコのスローガンとして使うなんて、おかしいとしか言いようがない。この看板を見たときに最初に頭に浮かんだイメージは、

「パチンコで貯金を全部使い切ってしまったけど、大丈夫だよ!」

「Everything's gonna be fine!」

面白すぎる!ウケる!!

日本人の英語

普通と違って、今週の月曜日が休み。予定がないから、コーヒーを飲みながら本を読もうかと思って。この天気だとあまり外に出たくないし。
今読んでるのは「日本人の英語」という、アメリカ人のマーク・ピーターセン氏が書いた本。不思議なことに、カナダ人の私が、同じ母国語のアメリカ人が、日本語で書いた、日本人の英語についての本を読む。当然、私はこの本の対象とした読者ではない。
なのに、私にとってかなり面白い。読みが進んだら印象を伝える。
ちなみに、今回みたいに、ブログを日記スタイルにしようかと思ってるけど、皆さんはどう思う?

日本人の英語 (岩波新書)

日本人の英語 (岩波新書)

よんとしおやまが下北沢の居酒屋で。

よん:このブログを何とかしたい。
しお:どうしたいの?
よん:色々な実験をしようよ。
しお:そうだね。なんとかしないとダメだよね。
よん:一応エントリーを書かないと。早く書いてよ!
しお:ごめんね!でもやっぱりずっと日本語で書くと疲れるよ。
よん:私も疲れるよ!
しお:でも韓国人って日本語はだいたい母国語じゃないの?
よん:違うよ!何言っているんだよ?
しお:まあ、しょうがない。書くよ・・・
よん:いろいろ考え過ぎだからね・・・
しお:・・・・・・

それで私たちは旅に出る準備をしようと思った。

暴力性を帯びたセクス文化の発信地として、新宿歌舞伎町

−外国人監督が見た東京(3)

 熱海にあるMOA美術館に行ってきた。今は「アフリカの美」というテーマで特別展が開かれている。ピカソマティスブランクーシなど、巨匠と呼ばれる画家や彫刻家たちの作品とともに、その作品に影響をもたらしたと思われるアフリカの造型を比較するように並べて展示していることが非常に興味深かった。アフリカの仮面の一部は日本の能面とも似ていてその影響関係を探ることもできた。


MOA美術館ホームページから(http://www.moaart.or.jp/exhibition.php)

 
 展示室を一緒に回っていた友達が言った。
「ここで展示されてるアフリカのもの、芸術作品っていうか、その国ではほとんど日常的に使われてるものなんだよね。」
 私もそれに応じた。
「うん、収集された時期からみると、侵略の歴史を垣間見ることもできるかな。こんな世界的に評価される芸術作品、勝手にアフリカのものに影響されてるね〜」

 ピカソの絵画と非常に類似しているアフリカのお面、アフリカの造型は彼のキュビズムに影響を与えたといわれる*1。アフリカ人のダンスに使われた布の模様が、他国の画家により絵になって売られ、エキゾチクなものを好む人々はアフリカの腰掛けを他大陸に持ち込んだだろう。
 現在の社会でアフリカのデザインはおしゃれだと評価され(婚礼やダンスに使われる布も展示され、美術館のコーナでもアフリカの人々がおしゃれであることを示していた)、売られていると思う。アフリカのデザインがオシャレだと感じ、その一部が高い値段でこの国でも売られているのは、それを持ってきて流行らした人々によって作られたイメージの影響を受けているからでもあるだろう。その作られたイメージは、アフリカにとっては極一部的なものにすぎないかもしれない。
 
 我々が接している様々なイメージの起源はこういった種類のものが多いともいえる。

 私は展示室でちょっとした違和感を覚えていた。そこで覚えた違和感の対象は、日常品として使われたものから勝手に芸術の素材をとり、そのイメージを作ることに貢献した芸術家たちにではなかった。芸術の素材の宝庫であるアフリカ大陸には成功した芸術作品に与えられた栄光のようなものが返還されたのだろうかということに関してだったと思う。(この問題はいろいろ誤解を招きやすいし、著作権問題に広げることもできるが、ここではやめておく)

 イメージも産業や利害関係と大きく関係するものであるから、この世の中にはさまざまなイメージが作られ、作ろうとする人も存在する。
 しおさんが前回〈日本のWebは「残念」じゃないよ〉で取り上げた梅田氏の話し。イメージとは別の話しになるかもしれないが、(イメージも大きく関係する)社会の主流の思想に影響されたか、あるいは自らそのような考えを作って従いたかったのではないかと思った。

 前回に続き、映画の話に戻ると、今回は新宿歌舞伎町のイメージを取り上げてみたい。映画『キル・ビルVol.1』(Kill Bill Vol.1, クエンティン・タランティーノ監督、2003)では、主人公・ザ・ブライド(ユマ・サーマン)がヘルメットを被って疾走する新宿の道路が印象深い。映画の内容はザ・ブライドの復讐劇であるため、全体的に暴力的な場面が多い。映画の背景となっている東京も、復讐劇の中心部として殺気と暴力性を漂わせる都市として描かれる。疾走するザ・ブライドの後ろには建物の看板が光っているが、発光する看板は繁華街である新宿のイメージをよく表している。復讐心に燃えるザ・ブライドの疾走は、映画の暴力性と伴い、新宿を暴力性の帯びた街として認識させる。それは実際に新宿のイメージとも考えることができる。ザ・ブライドが走る新宿通りは西部新宿駅新宿駅とその周辺が含まれるため*2、賑やかな繁華街で車が往来する道路は混雑する夜の風景をあらわし、ザ・ブライドの復讐に燃える心情とマッチしているといえるだろう。


by korkusuz_asker54(Flick)


 新宿警察署のホームページでは暴力団追放運動の実施が示され、暴力団への注意を呼びかけている。警察署のホームページに載せられた内容は、実際に新宿という地域が暴力団と関連していることを示唆している。

 前回取り上げた映画「Cherry Blossoms – Hanami」(ドリス・ドーリエ監督、2008)で新宿の歌舞伎町は妻を失ったRudiが複雑な心情で彷徨う街として描かれる。彼がそこで目にする光景は風俗店やキャバクラがずらりと並び、男性客で賑わうバーでは女性ダンサーがストリップに近いポールダンスを見せる。日本語を知らないRudiが客引きの若者に導かれて入るソープランドでRudiは急に妻を思い出して嗚咽する。この映画で描かれたセクス文化は他の映画でもよく描かれるイメージだが、日本のセクス文化はたまに誇張され、異様な文化として描かれるときもある。『ロスト・イン・トランスレーション』(Lost in Translation, ソフィア・コッポラ監督、2003)で主人公のボブの部屋に訪れるコールガールは、曲芸を披露する芸人のように描かれている。

 最近テレビで歌舞伎町の交番を特集した短いドキュメンタリーを見たことがある。そこは酔っ払い客が溢れ、交番には迷惑な街として存在した。日本を表す場所のなかで、秋葉原なども取り上げることができるだろうが、昔から新宿の歌舞伎町は日本をよく表す一つの場所として描かれていたと思う。
 コマ劇場がなくなった歌舞伎町は客引きをするホストたちが目立ち、以前よりは人の流動が少なくなったそうだ。酔っ払いのお客がタクシーのなかで寝てしまい、 起きないお客を起こすために交番に助けを求めてきた運転手。酔っ払いの若者がコンビニでお金を払わずにおにぎりを食べて起きた騒動。新宿の一部を象徴している歌舞伎町は、日本人にも騒がしい街として認識されていると思われる。

 人々は作られたイメージに左右されるといえる。しかし、人々はその作られた、もしくは作ろうとしたイメージのなかで暮らすために、そのイメージを受け入れ、うまく利用してきたかもしれない。アフリカの美を取り入れ、成功した芸術作品の品々、それにより作られたアフリカの美のイメージ、それと同様にアジアの美もまた他国で用いられ、アジアを代表する一つのイメージとして流行っているかもしれない。

*前回セクス王国としての日本のイメージについて書きたいと言っていたが、その話は新宿の歌舞伎町の話で終わりにします。また、ここで語ろうとする話しは一つのイメージにすぎません。新宿のイメージは東京のイメージとして広げることもできますが、一応今日はここまで。