年末年始病

12月と1月はあっという間に過ぎてしまう、いや、そう感じるだけかもしれないが。
すべてのことがあたふたと、追い付くことができないほど、一日が一週間が一ヶ月が過ぎてしまう。
慌ただしくパノラマのように流れる記憶、飲まなきゃと気合いが入った飲み会の断片。
自分をせかすことによって何かに取りつかれたように過ごしたと気づくのは、今ごろ。
それは相当な無気力を伴っている。その無気力に結構長い間引きずられてしまう。


12月の最後、旅行に出かけていた。友達に進められて訪れた遊園地「富士急ハイランド」。
自らの判断でこのような遊園地に行ったのは、人生で初めてだと言ってもいい。
世の中の乗り物への恐怖により私は自転車も乗れない人間になった。
絶叫マシン」なんか乗れるわけがない。
ただ、友達に連れられて訪ねた遊園地で恐怖に駆られた何年前の記憶がすごく昔のように思えた。
恐怖を克服する機会を作ってくれると、友達は言った。
「自分を克服しろと、そんな理由で恐怖の乗り物に乗る必要がある?」と思いつつ、
自分を任せてみようという、好奇心も生じていた。

・・・・・・結果は無惨だったが・・・・・・

ふじやま」(ギネスブックに載っているゼットコースター)から降りた瞬間、私は二度とここには訪れまいと思った。

でも、、、その騒ぎは思い出になった。

山梨で二日間を過ごした。温泉に入り、河口湖のまわりを歩いた。
何時間も歩いたせいで、靴下がぼろぼろになった。
だらだら、だらだらと歩いたり、休んだり、喫茶に入ったり、旅行は無計画の極まりだった。
が、それで頭がすっきりしたような気持ちになれた、と思った。
どこに行き、どこの何を見物し、その地方の何を食べ、そこのどのホテルに泊まり、次のスケジュールは何で・・・・・・
そのような計画は何も立てず、二日目はただ歩き、また、歩いた。
その計画のなさにあっけないと思いながらも、気持ちがよかった。


しかし、旅行は旅行、すぐ終わってしまう。

1月の最初を友達の家で過ごして、ようやく自分の部屋に戻った。
その日から私の体は言うことを聞かなくなった。
テレビでは正月の特番をやっていて、新年になったことを祝っている。
しかし、何が祝うことなの?年末年始は死ぬまで繰りかえる年中行事みたいなものではないか?
この祝祭のような雰囲気が現実から逃れる機会?
また現実に戻らないとならないでしょ、という自分が顔を出しはじめた。

それから一週間も二週間もやる気もなにも起こらない。
人々は祝祭が好きだ、それは現実を忘れさせてくれるの?
現実に戻らないとならないときに、より時間がかかって、ぐずぐずと現実への復帰を延ばしてしまうようになることもあるでしょう。

正月の騒ぎが終わる頃、バレンタインのチョコの広告が出始め、また騒がしくなる。イベント好きのこの世の中(日本?)旧正月は2月14日だからそれまで私はだらだらすることができるのではないか、でも自分を責める必要がある・・・・・・?

これいつ治るのかな・・・TT