牛丼屋と日本のイメージ

−外国人監督が見た東京(2)

(よんです。先に前回まで盛り上がった「はてな論争」に関する感想を少し述べたいと思います)

日本を見つめていくなかでは、はてなを見つめてみることも結構面白いと思い、しおさんが関わった「はてな論争」は楽しく見ていました。

しおさんが言っている通り、私はこのはてなについて何の事も知りませんでした。はてなの存在も知らず、興味を持つようなこともありませんでした。以前日本でブログを始めたいと友達に相談をしたとき、mixiに招待してもらいました。そのときに個人的な日記を書いた時期もありましたが、注目されないブログは書く人を意気消沈させます。さらに今の主流の社会は何気なく明るい世界を肯定し、明るくない性向を否定的にとる傾向が存在します。私の文章は決して「Positive」ではありませんでした。それが間違いではありませんでしたが、みんなの、「Positive」ではない私の文章に関する突っ込みが私をつまらない気持ちにさせたのです。mixiはご存じのとおり、招待をもらわないと、日記を公開したりしません。そのシステムもちょっと疑問に思いました。私は自分の文章を見せる相手を選ばなければならない。ああ、面倒くさい。(このシステムのいい点ももちろんありますが)

自分のなかでmixiは 極個人的な場であり、私が何を書いても、私に選ばれた読者たち(ほぼ知り合い)は私の想像を超える突っ込みをしてくれませんでした。後ではもしかして私が個人対世界の話を説いていこうとしても、個人のほうが勝つ話を書かなければと思ったときもありました。(決して私の知り合いたちをばかにするわけではありません)多忙な日々の続きと重なったその瞬間、ブログを続けたいという気持ちは消えてしまいました

その後、しおさんとしらふさんとブログを始めたことは偶然なできことでした。しかし、前からずっと、さまざまな知らない人に公開できる場でブログを始めたい、読者を選ばなくても自然に興味が合う読者が集まってくると、ブログへの思いは自分のなかで大きくなっていたのです。例えば、「Positive」か「Positive」ではないかという区分の仕方ではなく、それはひとつの個性になります。文字化されたイメージのうわべに存在する話、さらにその上もしくは遠くから眺めた話も書けるチャンスになるかもしれない。

mixiでの経験は私の特殊な経験であり、偏見にすぎないかもしれません。はてなが私にぴったり合う場であるとも断定はできません。最近の「はてな論争」を見て、はてなではさまざまな実験(?)ができそうな気がしてきました。その上、はてなでも日本という国、現在私が暮らしている社会を見つめられる場として考えられるということに気付いたと言いましょうか。もう一つ、なにか書いてみたいという勇気ももらいました。なので、はてな側が喜ぶか、はてなの読者側が喜ぶか、自分だけが喜ぶかは関係なく、書き続けたいと思いました。
冒頭が長くなりました。これからは前回に続き、映画の話に入ります。


しおさんは前回の話で「芸者とすし」という言葉を使った。それは典型的に日本を代表するようなイメージであると考えられる。一方、コメントを書いた石川さんは「牛丼を食べれば日本を知る」と言った。私は前回のブログで映画のなかに描かれた東京のイメージの多くがセクス王国のように描かれたという話をした。今回は 「芸者とすし」ではなく、「牛丼とセクス王国」という話題で話をしたい。(たぶん今回は牛丼の話で精一杯だと思いますが)

前回取り上げた映画「Cherry Blossoms−Hanami」では主人公Rudiの息子が日本の会社に勤めている。彼は遅くまで残業がちで、日本に訪ねてきた父Rudiは一人マンションで息子を待つ。息子Karlは夜遅く帰宅し、二人は遅い夕飯を食べに出かける。しかし、その周辺のレストランは開いている店がなく、息子は父を牛丼屋に連れて入る。そこで二人のドイツ人が牛丼を食べる風景が広がる。


〈By jetalone(flickr)〉

二人が牛丼を食べることで思い浮かんだことがあった。日本に初めて旅行に来たとき、私は東京市内のビジネスホテルへの到着時刻が遅くなった。友達と夕飯を食べに出かけても開いている店はコンビニと牛丼屋しかない。仕方なく牛丼屋に入った。そこで何より驚いたのは漬物や味噌汁が何もついてない牛丼のみを食べなければならなかったことだった。(普通漬物と味噌汁が自動的についてくる国に住んでいた)そのときのちょっとした驚きとともに甘い牛丼の味がほのかに私のなかに残っていたのだが、この映画に登場する牛丼屋のシーンは、私を過去の思い出に運んでくれたのである。

牛丼はご飯(おやつではない)でありながらもファーストフードの感覚で食べられる。和食ファーストフードと言えるだろうか。Wikiでも次のようにいう。

日本には、アメリカ系ファーストフードチェーンの他、様々なファーストフードチェーンがある。「安い」「早い」というキーワードで言うなら、立 ち食いそば・うどん・おにぎりのような古来からの食文化がファーストフードとなったのみならず、牛丼・ラーメン・カレーライスなど、近代になってから日本 で展開されるようになった食文化もファーストフードチェーンとして営業している。*1


牛丼のファーストフード化は、日本の文化が外国の文化を自国の合う文化に変更かつ活用してきた歴史ともつながる。映画で取り上げた二人のドイツ人が牛丼を食べる風景は、他の日本を表象する品物とともに描かれ、そこには監督が見つめた日本という国のイメージが重なっている。日本の職場を持つ息子Karl には日本人のサラリーマンの姿が重なっている。この映画ではどの映画よりも日本を象徴するようなものがあっちこっちに登場する。息子が暮らすマンションの玄関にはこいのぼりが掛けられ、冷蔵庫には招き猫のマグネット、日本の城を背景に「JAPAN」の文字が目立つ観光広報用ポスター、部屋に飾られたさくらの枝などな ど。日本人も思い浮かぶだろうが、そこには外国人が見て日本をイメージするだろうと思う日本グッズが並んでいる。

日本で初めて牛丼を食べたとき、私は牛丼屋の経験によってある程度日本のイメージを捉えはじめたと思う。

  1. ファミレスとは違って狭いスペース
  2. 誰が作っても均等した味
  3. 一人でも食べやすく配慮されている席
  4. メインメニュ以外の付いてくるものなし

このなかで1は日本の狭い住居空間など、東京の狭い空間で暮らすもしくは働く人々の生活を思い浮かび、2はファーストフード化された和食と関係する。また、この点は細かいところまで細心の注意を払う日本人の細かさと関連するだろうか。3は一人の行動が多い国オタク文化や引きこもりなどと関連し)でもあることに納得でき、4は日本が経済を優先する国である(以前からアジア諸国のなかでも経済的に発達した国)こととも関係するだろう。

手馴れない箸を使いながら、牛丼屋の牛丼を食べるRudiの心情に私はこのようなことを結びつけていた。もしこの映画の監督も私の考えに同感するかもしれないとも思った。(つづく)