仮面の力

世界中、多文化ではコスプレ(つまり自分と違うものに仮装すること)という習慣が昔からある。例えば、カーニバル(謝肉祭)はそうでしょう。
カーニバルとは昔々(クリスト教の祭りになる前に)大きな社会的な機能を果たした。数日間に限って、社会的な逆転が起きて、一年中みじめな生活を送る最低階級が社会的な義務から解放されていた。
それで、もちろん最終的な役割は現状の維持だった。
今はそうじゃない。現代のヨーロッパではその由来を知っている人はあんまりいないと思うし、今のカーニバルは子供の祭りほかない。
では、近年原宿のほうでよく見かけられるコスプレは。。。?
よく考えるとカーニバルとの似たような機能をはたしているんじゃないかな〜
簡単に言うと、毎日きつい制服を着たりしなきゃならない中高生が週末は来ると派手な服を着て、化粧して、やっと青年女[男]子らしく振舞うことができる。つまり、仮面をつけるということで、自分のパーソナリティを活かせる。
じゃ、大人の場合はどうなんだろう?
例外を別として、大人の日本人はコスプレしないとわかっている。だが、
大人にはDISNEEEY。。。


by Flickr user: mount

はい。ディズニーランドのキラキラの御姫様、笑うしかできないミッキーの顔 (以上の写真見れば分かる!)、人工的な幸せと甘ったるいラブを唱える曲は、全部、まさにコスプレのように開放的な機能があるようなきがする。
去年ド不景気のなかで、ディズニーの売上はすごかったそうだけど、ディズニーへのチケットはハッピーな世界に入る鍵みたいなものだからじゃないのかしら。
結論を言うと、コスプレといい、ディズニーといい、両方厳しい現実からの一時的な逃げ場であって、逆にその結果は現状の社会制度を守ることだ。
そうね。
週末が終わると、月から金まで、少年達はスッピンの兵隊に、大人達は働きマンに戻る。