外国人監督が見た東京(1)

 最近「Cherry Blossoms – Hanami(Kirschbluten – Hanami) ドリス・ドーリエ監督、2008」という映画を見た。日本では未公開であるらしいが、この映画を作ったドリス・ドーリエ監督は「愛され作戦 Keiner liebt mich」(1994)という映画でアジアでも注目されたといえる。「Cherry Blossoms – Hanami」はタイトルからわかるように、サブタイトルが「はなみ」であり、映画のなかで半分くらいは日本が舞台となっている。特に監督が、日本から発信されたダンスのジャンルであるBUTOH(舞踏)に興味を持っていて、踊りの場面が適所に使われていることも興味深い。

 

 映画の主人公は二人の老夫婦で、Trudiは病院で夫Rudiの死が近いことを告げられる。夫にはその事実を隠したまま、子供たちに会いに旅立った旅先でTrudiは急死してしまう。一人になったRudiは、生前妻がBUTOHダンサーの夢を抱き、日本に足を踏みたかったことを思い出し、妻の代わりに息子Karlが住む日本に渡る。そこでRudiは花見で賑わう公園で踊るBUTOHダンサーの少女に遭遇し、彼女とともに妻が見たいと願っていた富士山を訪ねていく。旅先でRudiは病気が悪化し、高熱や痛みに苦しむ。夜明けに目が覚めたRudiが窓を開けると、何日も曇っていて見えなかった富士山がきれいに目の前に写っていた。Rudiは化粧をし、妻の着物を着て富士山に近い川辺まで急いで行き、心を込めてBUTOHを踊る。まるでそこには妻Trudiが一緒に踊っているようだった。そのままRudiは倒れて息が絶えてしまう。


 日本はアジア諸国の中で早くも経済的発展を遂げた国であり、外国映画の中でも映画のロケ地としてしばしば登場する。そのイメージは様々な監督の目を通してあらわれるが、着物を着た芸者の美しい国、能・文楽などの伝統文化を守っている国などもあれば、最近では様々な社会問題を抱えている国としても描かれる。

 この映画で描かれる日本はさくらと富士山のイメージが強調的であるといえる。さくらは老夫婦の死に関連し、儚いものとして扱われる。また、高層ビルが並ぶ東京の街と風俗店やキャバクラが続く新宿の歌舞伎町も登場する。日本語を知らないRudiが一人で彷徨う繁華街で、客引きに連れられて入るソープランドやダンスバーは、従来から外国人監督によってよく使われていた日本のイメージの一つである。

 日本は昔から火山の国や吉原を象徴とするセックス王国としても認識されていた。その中で東京は「無秩序で雑然として薄汚いところ」 という混沌とした都市として認識され、早くも近代化されたアジアの大都市の東京はソビエトSF映画の未来都市として登場した こともある。なお、雑踏する駅舎のフラットフォームで出勤電車の人々を押しまくる押し屋は異様な光景を提供し、東京は混乱する大都市としてよく描かれていた*1

 雑踏する都市・東京は、新宿と渋谷に足を踏むとよく分かる。新宿と渋谷の人ごみは混雑する東京の一部をあらわし、人ごみで賑わう新宿の東口交番前、アルタビルの周辺は週末になると、様々な人々を目撃することができる。また、渋谷駅前のスクランブル交差点では若者の群集がクロスする横断歩道を渡り、あらゆる映像を流す駅前のQFRONTビルの大型ビージョン・Q’SEYEは渋谷を象徴する中心的なオブジェともいえるだろう。

 
Flickr舞蹴氏が撮ったQFRONTビル〉

 

 「Cherry Blossoms – Hanami」のなかでも東京はセクス王国、雑踏する大都市のイメージが半分くらいである。BUTOHダンサーやさくらと富士山は、監督が日本に神秘感を抱いているようにも思われ、そのイメージは前者とは異なる。

 ここでは「Cherry Blossoms – Hanami」をはじめとし、いくつかの映画を取り上げ、そのなかに描かれた日本(特に東京)のイメージについて考えていきたい。(つづく

詳しい話は次回からなのでお楽しみに!

*1:佐藤忠男「アジア的大都市TOKYO−外国映画のなかの東京」『東京という主役−映画のなかの江戸・東京』講談社、昭和63年p216.参照。