ガイダンス主義

2週間前、飛行機で神戸に行ってきた。
羽田から神戸空港まで一時間ちょい。一時間はすぐ経つだろうけど、飛行機でなんか読もうっかなと思って、雑誌を買った。その時、まだ飛行機が静かな場所だと思い込んでいた。甘い!


12時になって、ゲートのほうに向かった。
私のフライトが呼ばれてる。さ、行こう。シートを探して、着席しよう。そして、雑誌を鞄から出して、シートベルトを締めよう。
そうしたら、フライトアテンダントがいつもの指示をマイクで出し始める。「セキュリティベルトをお締めください」「荷物はきちんとしまってください」「puriiizu fasuten yooor sekyurity berto」など、など。
長談義が終わって、飛行機は雲の中へ飛び去る。窓の外をみたら、雲の海が浮いている。
ふううむ。。。気持ちいいなぁ〜 ッピコンって。
「この飛行機で禁煙となっております」。あ、はい。
寝ちゃおうかな〜 ッピコンって。
「本日、スカイマークがご利用になりまして、ありがとうございます」。はい、どういたしまして。
雑誌を読み始めよう〜 ッピコン
「これから、飲み物販売サービスが始まります」。
う〜ん ッピコン
「お茶、コーヒー、ジュース。。。もあります。」。いらない、むしろせっかく雑誌を買ったのに、それを読みたいけどッ
「お飲物いかがですかぁぁ」
。。。
10分ぐらいたつと、飛行機の中で、静かになる。あ〜、やっと記事の2行目読める。
。。。
よかった、記事を一本読めた。次のもおもしろそう。話題はちょっと難しそうだけど集中しよう〜 ッピコン
「まもなく、着陸が始まります」。
ッピコン「シートベルトをしっかりお締めください」。
ッピコン「これからエムピーツリープレーヤー、パソコンのご利用は禁止となっております」。
ッピコン「神戸に天気が晴れ、気温は10度です」。
。。。
ッピコン「本日スカイマークを選んでいただきまして誠にありがとうございました」。

飛行機を降りたら、耳がやっと休めた!



日本人ってよく口が堅い人々だと言われているが、その一時間は10時間のように感じて、よくしゃべるな〜と思って仕方なかった。
どこ行っても指示が多い。紀伊国屋のエレベターやら、銀行やら、プールやら。そこに行ってください、こうしてください、こうだめですという係人がどこにも、必ず、いる。
大学でもそうだ。コースが始まる前にガイダンスの時期が始まる。
金曜日は図書館でどうやって本を借りられるかのガイダンス。土曜日は前の日借りた本をどうやって返すガイダンス。
ガイダンス、ガイダンス、ガイダンス。

たまにありがたいことなのかもしれない。例えば、大事な書類を記入する時や、大きな金額を振込する時。
しかし、もっとシンプルなことをやるとき、人の想像力、知能、直観に任せたほうがいいんじゃないか。人の面倒を見すぎる社会的な制度は人を馬鹿にすると思う。よく平和ボケという翻訳しがたい表現が耳にするが、その表現は私の言いたいことにぴったり。
自分の代わりに考える「制度」があると、人間は体が成長するにつれて、頭はどんどん鈍感になっていく恐れがある。行き過ぎた社会保障は人間が生まれながらの武器、つまり自己保存本能、そして防衛本能など、を消す。
そういうことが危険だ。考えずに生きていくことになれた民族が滅びがちだ。「えらい人たちに」自分の運命を任せて、「どうでもいい」「仕方ない」という無責任の言葉を言いながら、死んでしまう。
ところが、死に方を案内するガイダンスがまだ誰も書いていないから、マヨッチャウかもね。