違う目から見た「日本語」

はじめまして、「しお」と言います。5年前から日本に住んでいるカナダ人です。趣味は自転車でぶらぶらすること、東京の路地裏を歩き回ること、カフェを発見すること、ブログを読むこと、言語について考え(すぎ)ること、翻訳すること。暗い映画が好き。納豆が嫌い。

「The colour of the sun (日々の色々)」というこのブログは、私たち3人の友達の、自分の言葉ではない日本語で、自分の国ではない日本について一緒に考える、調べる、議論するところです。母国語ではない日本語が私たちの共通語。この「外国人の共通語としての日本語」、またこの「ズレた視点から見る日本」というのが、不思議に聞こえる、不思議に思えるかもしれない。でも「不思議」だからこそ「面白い」、そこがこのブログの出発点です。

日本語と外国語 (岩波新書)

日本語と外国語 (岩波新書)

ブログの名前は鈴木孝夫氏(すずきたかお)という言語学者・評論家の「日本語と外国語」という本の中から取られている。鈴木さんは、言語の間の違いを注目するために、次の話を紹介する(p.38-39):

ある日のこと大学から戻った私に突然、家内が「英語で太陽の色は何色かしら」と言った。私が「そんなこと赤に決まっているじゃないか」と答えると、「そうでしょう、でもうまく合わないのよ」と、新聞のクロスワード・パズルを持って来た。

太陽の色(The color of the sun)というヒントに従って赤(red)を入れると、文字欄が三つ余ってしまうというのだ。私が変だなと言いながらも、思いつくままにいろいろな色彩名をいれてみた。すると黄(yellow)なら上下・左右ともピッタリすることが分かったのである。

しかし太陽の色が黄色とは、どう考えても変だということで、さっそくアメリカ人の知人に電話をかけてみた。すると誰もが、黄色に決まっているじゃないか、どうしてそんな馬鹿なことを、わざわざ聞くのかといった調子なので、本当に驚いてしまった。

日本人である私たち二人の心の中には、小さな子供の頃から《白地に赤く、日の丸染めて、ああ美しや、日本の旗は。。。》の「日の丸」の歌をはじめ、白い御飯の真中に赤い梅干し一つの日の丸弁当、そして小さな子供たちの描く太陽の絵はみんな赤いクレヨンの丸だったことなどすべてが、太陽は赤いものという確信を育てていたのだ。それが黄色だなんて、それじゃ月じゃないか、というのが私たちの率直な反応だったのである。

「太陽の色」というこの鈴木孝夫氏が挙げた例と同じように、僕たち3人が同じ日本に住んでいても、同じ日本について書いていても、「太陽」という当たり前のことが、自分の母国語により、自分の育ってきた文化により、自分の教えられてきた歴史により違って見えるのだ。「The colour of the sun」というこのブログでは、この違って見える「日本」を、読者に伝えようとする。

それで今回は、このブログの最初のエントリーをきっかけにして、「違う目から見た日本語」というテーマから始めたいと思います。最近日本語のブロゴスフィアでは、水村美苗の「日本語が亡びるとき」という本に対していろいろな反応が集まって、梅田望夫さんや池田信夫さん、id:essaさん、小飼弾さんなど、多くのブロガーが日本語のこれからについて意見を交換している。そこで例えば梅田氏のブログのコメント欄では、id:albertusさんが「自分の論考をできるだけ多くの人々に知ってもらうためには、英語が一番の近道です。ですので、わざわざ日本語で書く必要がもうない、という時代になってしまっています。」という典型的なコメントを書いた。多くの人は確かに同じような意見を持っているはずだ。

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

では、「わざわざ日本語で書く必要がもうない」なら、僕達はわざわざこのブログを日本語で書いたり、お互いに日本語で喋ったり、頭の中にもたまに日本語で考えたりするまで、というのはいったいどういうわけだ。母国語でもないし。しかも自分の言語より、日本語で書くほうがずっと時間がかかるし、面倒だし。僕たち、頭がおかしいとしか思えないでしょ。

そこで日本語のブロガーのもう一つの典型的な意見を読んでみよう。数日前にid:filinionさんが、「日本語は滅ぼすべき。」という論争的なエントリーの中で、英語が公用語になった場合について、「私としては、やはり意思疎通が容易になれば相互理解も深まり、世界の平和に寄与するのでは、という思いもあります。」ということを書いた。id:albertusさんが書いた「多くの人々に知ってもらうため」の「近道」という個人にとって英語の有利な点を中心にするのとは違って、id:filinionさんのこのような意見では、「世界の平和」という幅広くて素敵な目的を目指すための「相互理解のための言語」として英語の「普遍性」が強調されている。

この二つのコメントを合わせて、「英語の普遍性、日本語の地域性」というようなまとめができる。言い換えれば、お互いの情報交換としての「コミュニケーション」が第一目的であれば、日本語が(特に普遍性のある英語と比べて)「コミュニケーションコード」として日本以外の国ではほとんど知られていないし、だから必要もない、意味もない、ということだ。

そういうふうに考えると、確かにそれはそうかもしれない。でもそこで、別の見方もあると思う。説明するためにもう一回、「日本語」という言葉について、僕の日本語を勉強する経験、それから日本語の進化の歴史から考えていきたいと思います。

日本語を最初に勉強し始めたのが日本に来た5年ぐらい前のころだった。きっかけは特になかったが、日本にいるから日本語を勉強するのが当然だ、という考え方もあったし、他の人に依存することもいやだし、言語を勉強することにも価値がある、というわけだった。そこで今回のエントリーで注目したいのは、あのころの僕は、「日本語の勉強」ということをある程度「日本語」という特定の言語から切り離なして、「スキル」として考えていた、ということだ。「運転するスキル」、「料理をするスキル」、「ワープロを使うスキル」、いろいろな生活の中の役に立つスキルの一つとして、日本語は日本にいるなら確かに便利だ、というふうに考えていたワケ。

この「スキルとしての日本語」という考え方は、先ほど書いたような「コミュニケーションコードの一つとしての日本語」という考え方と、ある意味で似ていると思う。要するにコミュニケーションコードとして、「日本語」というスキルと、「英語」というスキルを比べると、id:albertusさんが書いたように、「自分の論考をできるだけ多くの人々に知ってもらうためには」、少なくともグローバルなレベルでは普遍性のある「英語」の方が効果的だ。

一方で同じような「スキル」という考え方で、3、4年前の僕にとって、日常会話というレベルの日本語が逆に「スキルの一つとして」便利なこと、重要なこと、不可欠なことだった。どこまで日本語ができるか、できないか、というのにもかかわらず、確かにほとんどの日本に長く住んでいる外国人もそういう「日本語を学ぶこと」の価値を認めるでしょう。

だけどあの3、4年前の僕の「スキルとしての日本語」という態度が、時間が過ぎるにつれ、少しずつ変わってきた。そしてあるときに、言語の一つとしての「日本語」の別の意味が環境から現れてきた。その別の意味が見えるようになったことには、柳父章氏(やなぶあきら)という翻訳学研究者の「翻訳語成立事情」という本の影響が大きかった。

翻訳語成立事情 (岩波新書 黄版 189)

翻訳語成立事情 (岩波新書 黄版 189)

翻訳語成立事情」を説明するのは時間がかなりかかるし、このエントリーの文章も大分長くなってしまうので、とりあえず僕の2年くらい前のこの本の印象に残ったところだけで紹介したいと思います。印象に残ったのはまず、最近の日本史から見る「社会」という言葉の話だった。

知らない日本人もけっこういるみたいだけど、「社会」という概念は日本語でつい最近の言葉だ。明治時代に、福沢諭吉中村正直、日本の有名な翻訳家や知人などに、英語の「society」に対応する言葉として作られてきたわけだ。その前は、「社会」という言葉はともかく、「society」という概念自体も存在しなかったからだ。

そこでちょっと考えてみてください。「社会」ということは存在しなかった。「社会」はなかった、と。

それを最初に聞いた時は、どうしても想像はできなかった。というか、ありえない話だった。社会の存在しない国って、どういう意味か。 自分が生まれた北米では、「society」という概念の根も深いし、その言葉の歴史も長い。西洋人の僕にとって、かなり理解しにくいこと、不思議なことだった。

そこで、「社会」についての考え方として、柳父章の「翻訳語成立事情」には「世間」という比較的に長い歴史の言葉もあって、「societyという概念の歴史のない国」を理解するためにはその「世間と社会の対立」という話が、少なくとも僕の場合には啓発的だった。

この「世間」と「社会」の違いについては、柳父章がこういうふうに説明した(p.18):

まず端的に言って、「社会」はいい意味、「世間」は悪い意味である。それは、これらのことばの前後の文脈から分る。「社会」の人事、すなわち出来事は虚ではない。が、「世間」の栄誉は、士君子、すなわち学問に通じ徳の高い人の求めるべきものではない、というのである。

それから:

次にもう一つ、「社会」の意味は抽象的で、「世間」の意味は具体的である。それぞれのことばに続く文章における、意味の展開を見ると分る。「社会」ということばに続く文章中では、「人の智徳は猶花樹の如く......」という抽象的な文句が述べられているが、「世間」に続く文章は、「医者の玄関、売約の看板の如くならば」というような具体的描写につながっている。

そうなのか。いい意味、悪い意味。抽象的な意味、具体的な意味。何か不思議な言語、日本語は。っていうのが僕のあのころの印象だった。

でも「翻訳語成立事情」には「社会」の話にはとどまらない。続いて読んでみると、「個人」(individual)や「権利」(right)、「自由」 (freedom)など、西洋の国のごく普通の、日常会話というレベルの言葉が、最近まで日本にはなかった、ということが分かった。それぞれはそれなりに「翻訳」という過程で作られてきたのだ。

そして柳父章氏は、福沢諭吉のこの西洋の概念の翻訳に果たした役目について、こう書いた(p.37):

福沢諭吉は、日本の現実の中に生きている日本語を用いて、ことば使いの工夫によって、新しい、異質な思想を語ろうとした。そのことによって、私たち日常に生きていることばの意味を変え、またそれを通して、私たちの現実そのものを変えようとしたのである。

では、このエントリーの最初に触れた「スキルとしての日本語」は、福沢諭吉が「社会」などという言葉の翻訳で変えた「私たちの現実」とはどういうふうに関係するのか。そしてこの「概念の翻訳から生まれた私たちの現実」というのは、先ほど触れた「英語の普遍性、日本語の地域性」ということと、どういうふうに関係するのか。僕は2年前からこのような質問について考えている。もちろんこのような質問は一人一人自分なりの答えがあると思うけど、個人的に自分のブログでも書いたように、日本語が「コミュニケーションコード」の一つだけではなく、「日本」という国の歴史や文化、考え方などにもつながる「世界観」を表現する媒体だ、というふうに僕はこのことについて考えてきた。

そういう意味で当然、「スキル」として考えながら日本語を勉強すると、どうしても限界がある。言語能力や勉強時間にも関わるとしても、言語を(いやな意味を持つ言葉だけど)「ネイティブ」のように喋る、読む、書くことには、結局世界観の違いにもぶつかることは避けられないからだ。それは悪いところもあれば、良いところもあると思う。例えば僕の場合、日本語を身につけるために、西洋人として「社会」や「個人」、「権利」、「自由」など、自分の世界観に根本的な柱を、異質な思想の持っている「世間」など、別の国の歴史に根付いた概念に関連して、最終的に自分の視点も変えることが必要だった。

そして「日本語」という言葉と、その言葉の裏にある「世界観」が少しずつ分かるようになると同時に、自分の言葉と、その言葉の裏にある世界観の一部も、いつの間にか風化したり、少しずつ分からなくなったりもする。つまり(少なくとも私の場合には)、日本語を身につけるために、自分の世界観の一部を犠牲にする必要があるわけ。そういうことで、言語の間には「文法の違い、語彙の違い、つまりコードの違い」しか存在しないということを耳にすると、どうしても怒るよ。言語の翻訳には「マッピング問題」しかないわけではない。日本人は自分の言語の価値を大事にしないと、英語の公用化はともかく、自分の言語の裏にある概念も分からなくなる。