暴力団体の美学:やくざvs MAFIA

By しらふ

イタリアの娘である私は日本とイタリアが共通している問題、つまりについて書いてみたいと思う。
最近『Tokyo Vice*1という本を読んだからか、そのテーマにすごく関心を持つようになっていろいろ考えてきた。
そもそも、タイトルの暴力団体の美学ってどういう意味なのか。
それが日本の漫画、ドラマや映画で登場するヤクザ者の描き方と関連している。で、今回のポストに特に注目を当てたいのは主人公がやくざであるドラマだ。例えば、『My Boss My Hero』と『ごくせん』。
国にいた時は日本語の聞き取り練習としてよくドラマを観てた私にとって両方の作品は面白かったけど、やっぱりちょっと考えてみると違和感を覚えてしようがない。
(両方がドラマになる前に、韓国映画だったり漫画だったりするという話はおいといて)主人公が伝えている価値観はどういうものなのかみてみよう。
前者の主人公は長瀬智也が演じる、ある親分のバカ息子だ。名前が榊真喜男。
後者の主人公は仲間由紀恵が演じる「大江戸一家」の親分の(馬鹿強い)孫だ。名前が山口久美子。うん、ヤマグチ・クミ(こ)。アレとただの類似音かな?!
とにかく、真喜男と久美子がいろんな面で似ている:暴力団体の後継者だが、心はやさしい、弱い者を助けようとする、モラルに溢れている。そして、チョイおっちょこちょくて、なんか可愛い。
つまり二人ともカリカチュア的なキャラクターであるものの、いわゆる良い者の質性が全部しっかり身についている。
ところが、なんだ!

しかも自分の身分や家族のことを誇りに思っている!


The Hatena-gumi by Flickr id: Dunechaser

両方のドラマは性善説まみれのヤクザ話なんだし「ごくせん」1か2(よく覚えていない)には久美子先生は自分の学生を「悪い」やくざから庇うという話もあったような記憶する。。。
悪いやくざ 良いやくざ が存在するってこと?だったら、塩辛い塩と塩甘い塩もありと言えるでしょう!?!
ナメンナ
もちろん、大人達がそのドラマをみれば、「こりゃ〜あくまでフィクションだから、話しても意味ないっつうの」という反論はしてくるかもしれない。しかし、ドラマを見る人はほとんど中高生だから、かれらに「21世紀にやくざは義理人情の世界に生きている者ではない」と、誰か説明してほしいね。。。
メディアは、特にテレビ、暴力団体が絡んでいるニュースはあんま報道しない気がするし。
じゃイタでどうなんだと気になる人もいるでしょう?!
イタリアのマフィアはさ義理人情なんて知らないわけってだれでも分かっている。日本の文化から生まれた概念だからじゃなくって、マフィアはお金を欲するもんだと子供も把握しているからだ。(なのに、そんな世界を憧れている人はいるということは別の問題。。。)
私の国にマフィアって政治界、経済界、そしてひどいところではもっと日常的なレベルでも広がっているということは一般常識のようなことだ。
ちょうど去年『Gomorra』という本に基づいた映画は出たけど、日本人に観てほしい。それは、「イタリアにマフィアはこんな酷いなんだ」って言わせるためじゃなく。。。むしろ、「日本のやくざについてもこんな深見のあるドキュメンタリはプロデュースされたらいいな」と思ってほしいため。
もちろん、日本でも勇気のある記者や監督などいらっしゃるけれど残念なことにその人々が書いた、又は作った作品はあまり知られていないと思う。だからか、一般の人は「まーお金持ちじゃないから、ヤクザなんて僕/私と関係ないもんだ」って信じちゃうようになった。
それじゃ危ないと思う。
「みんなよ、怖がれって」いっているんじゃないけど、せめて「危うい者が日本にもいます」と。。。日本が平和主義だって誰かが作った単なる神話ですと。
そして、さっきのドラマの話に戻るとけど、イタリアには同じように可愛くて、おっちょこちょいマフィアの娘のようなキャラクターがドラマの主人公にされたとしたら。。。大騒ぎになると思う。
冗談じゃないわぁと多くのイタリア人は言いそう
毎日どんだけの人殺されたり、脅かされたりしてるのに「ふぁいとおお。。っお」っていう場合じゃなかろう。

nagaku nacchatte sumimasen

*1:著者はアメリカ人のJake Adelstein氏である。彼が20年前くらい上智大学を卒業して、読売新聞の記者になった。長年社会部に勤めて、日本の闇の世界を報道してきた方だ。