ジローラモ、あなたと違うんです!

確かにジローラモさんは、在日イタリア文化会館イタリア大使館よりイタリアの本質を伝えられたといえるだろう。ただ、息つく暇もなく自慢話したり、「俺が女食いだからさ」みたいな発言ばっかしたり、胸が見えるようにシャツを着たりするイタリア人の男性たちが1980年代から減ってきて、今日はそういうふるまいをする男は「ダサッ」って思う人も少なからず。。。
ま〜別にジローラモさんにケンカを売っているわけではないし、世の中は変化があってこそ面白いと私も思う。しかし、パンツェッタくんは日本に住むことにする外人(すみません、西洋人)の心理を少し理解するためにいい例とだと思う。


一般にいうと、海外に住もうとする人々は母国から離れるからこそ多様な選択肢がある。移動の時まで生きていた人生、尊敬していた倫理的・社会的な価値観、正しいと思った行動など、つまり「己」、自分と一緒に荷物の中で行き先に持って行くことか、それを一切捨ててその他の国で生まれ変わろうとすること。
いずれにせよ、「移民」は精神的な背骨がないと現地の人々と対立の関係をしかできなくて、自分の中でバランスを簡単に取ることができなくなる。その結果、極端な態度を取り始める。相手は受け入れてくれない恐怖(つまり孤独の恐怖)によって促された態度。


じゃ、来日する外人の場合どうなるんだろう。
(せめて私は今まで知り合った)外人は支えてくれる家族があったり、日本に来るのは自分で決めたことだったりすると、日本と自分の国のことを多くの人と比べてより客観的にみられて、各々の国や民族の長所と短所、つまりその特徴、を理解できる。なぜかというと、地理上の距離、そして心の距離のおかげで、母国を見つめることができると同時に、日本にいても日本人じゃないから少し遠い視点から自分のいる現実を経験できるからだ。
その一方、脆い素材からできている精神的な背骨の外人は様々な行動を取るが、結局、その行動を「受けいれてくれ!」と叫ぶような行動にしか私は見えない。
例えば、よくある行動を挙げてみよう:

  1. 日本人は無条件にダイッキライという人。
  2. 日本は好きだけど、なぜか自分の国に考えたこともないことをする自由があると勝手に思っている人(例えばハロウィーンで山手線をぶち占領した連中)。
  3. 日本、日本人、日本語は無条件に大好きな人。このカテゴリーに属する外人は日本のことに日本人より詳しい、日本人の女性か男性としか付き合わない、漢字のうんちくである。


あくまで私の解釈になるが、この極端な態度の原因は日本の「個性」にあると思う。
普段は西洋と違って、東洋の文化にでは個人主義より集団主義のほうが強いと思われる。様々な視点からみるとそうかもしれないが、日本には個性がないわけない。愛国者専用語でいうと大和魂と呼べるだろうけど、外人である私は「日本の超自我」と呼ぼう。

少しでも感じやすい心を持つ人はその個性のにおいを嗅ぐことができたら、魅力的に感じるか或いは自分との比較に負けて、巨人に圧倒される。
そういうジレンマへの解決が存在するか私にはわからないが、確かなことに外国人は日本に住み続けるまで外人として見られているし、変わったものとして感じられている。フランス、U.S.、英国などと違って、たとえ完璧に言語が話せても、日本の歴史、伝統、法律など知ってても死ぬまでは「日本語がうまい外人」であり続ける。
この列島に人種のるつぼの存在の認識と心からの認容まで、結構時間がかかりそうと正直思う(残念ながらイタリアもそうだ)。しかし、その時が来るまでいい心の訓練になりそう。その訓練を受けたくない人々には帰国、或いは異国への移動の選択肢がある。
自由は限りがあると一般常識なのかもしれないが、多くの人が実際に外国に住まないまでは自分の中にある限りのほうが一番乗り越えにくいことを把握しないだろう。
それらを乗り越えることだけで、特に「異者」をいぶかしく思う日本では、自己を鍛える修行になれることを信じるので、皆にお勧めしたいですね。特に若者に。外国に住みに行って、自分を試してください。


ちなみに、私は「しらふ」と申します。ローマ生まれローマ育ちのイタリア人で、3年前から東京に住んでいます。よろしくお願いします。


注意:以上の文書では「歴史的な理由で」日本に対する不安を感じる外国人が分析対象外である。